ドンキホーテで買い物をした後でヨドバシカメラへ向かう途中、謎の行列に出会う。「ここが最後尾」なんてノボリを持った人がいるくらい、結構な人数が並んでいる。場所は秋葉原駅電気街口を御徒町方面(UDXがある方)に出たあたり。
行列の元となっている店舗を見てみるが、遠いのでよく見えない。とりあえず cafe と書いてある部分だけ確認できた。カフェで並ぶって何だろう。またメイド喫茶だろうか。メイド喫茶は旬が過ぎた感じがするけど。
そんなことを考えながら歩いていると、お店が良く見える距離になった。
それはガンダムカフェだった。
(ガンダムカフェ公式WEBサイトより)
「ちょっと異様な光景だね」と嫁さんがつぶやく。
異様だろうか。秋葉原にガンダムカフェ。それにならぶ人々。
自分にはすごくわかりやすい光景だと思える。
「OLさんだって、クリスピードーナツとか、TVに出たデパチカのスイーツとか、興味あるものには並ぶよね。ガンダムカフェにガンダム好きな人が並ぶ。そう考えると、普通の光景じゃない?」
そう言うと、嫁さんも納得したようだ。
パッと見て「異様」と感じてしまう深層心理があるのだろうけど、そのあたりは追求しない。
自分自身と異なる好みや趣味に対して、すんなりと理解することは意外と難しいことなのかもしれない。「そういう人もいるよね」というより、「えー、何それ」という反応の方が多そうだ。
お店の前を通り過ぎても、まだガンダムカフェのことを考えていた。
わざわざ地方からガンダムカフェのために秋葉原まで来た人がいるかもしれない。何日も前から計画を立てて新幹線のチケットをとったり、前日寝る前の布団の中でワクワクしたり。
そういう感情を持てる人が、ちょっと羨ましかったりする。
最近良く思うのだが、色々なことを見たり聞いたり、経験・年齢を重ねるうちに、何かにドキドキワクワクしたり、感動する力が自分の中で弱くなっている気がするんだ。おっさんになった証拠なのだろう。
美味しいものを食べても「美味しいね。(でもまあ、こんなもんだよね)」
旅行に行っても「良いところだね。(でもまあ、こんなもんだよね)」
何をしても、末尾に(でもまあ、こんなもんだよね)が付いてまわる。
なんとなく思うのだけれど、感動する力って、生命力に直結している気がしてならない。
取り戻さないと。
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